読書などで出会った素敵な言葉をまとめていきます。
『法句経(ダンマパダ)』
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。」
→怒りを報復で返したいという心こそが地獄である
「怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」
→怒りを手放した瞬間こそが極楽である
『禅のつれづれ』鈴木大拙
人間以外のものは、いずれも、”そのまま”で存立し、”そのまま”に生きて行く。松は松なりに竹は竹なりに生きて行く。岩は岩なりに、千代に八千代に苔むすまで、”そのまま”に存立している。ただ人間になると、”そのまま”のところに二の足をふむようになった。「これでよいのか、な」と、一歩退いて考え込むようになった。
鈴木大拙『禅のつれづれ』
(中略)
哲学くさくなるかも知れないが、人間は根本的な”そのまま”を忘れ、働かしてはならぬところに分別知を働かして、ありもせぬ苦しみをこしらえて、その中に自分を投げこんだ。
「そのまま」を漢字で書くと「其の儘」です。「儘」には成り行きに任せること。偏見にまどわされず、「そのまま」「自由自在」に生きれるか?というのもまた大事。
『延命十句観音経』
観世音 南無仏《かんぜおん なむぶつ》
与仏有因 与仏有縁《よぶつういん よぶつうえん》
仏法僧縁 常楽我浄《ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう》
朝念観世音 暮念観世音《ちょうねんかんぜおん ぼねんかんぜおん》
念念従心起 念念不離心《ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん》
最初の「世の音」というのは、我々生きとし生けるものが発している音や声のことです。観音さまはこの「世の音」を「観じて」いる菩薩なのです。「観ずる」という言葉の意味は見る、ということですが、ただの見る、目を向けるというところから一歩踏み込んで、対象にこころを向けて一生懸命に観察する、という意味合いも含みます。ただの「目を向けて見る」から、こころも向けて初めて「観ずる」となる(引用:https://zenzine.jp/read/articles/12239/)