イギリスのクマ保護団体Bear Conservationが、日本の熊駆除の現状をまとめて発信しており、私がたまたまいち早く気づいたので部分的引用文とともにうかつにSNSという玩具箱に投稿したらそれなりに注目して伸びております。以前AIアオバト写真をアップしていた人を見破って指摘した投稿がリツイートされたときと比べて拡散速度は低いですがじわじわきています。
こういう私のふわふわする(自認してますよ)ポエムに対して、それぞれの価値観と間違った読解から、「そんなこと言ってないのにな」という反応が量産されて観察しているとそれなりに発見があります。同時に私の中で静かな怒りが湧いてきたので供養しておきます。
Bear ConservationのまとめたPDFから引用します。
These lethal measures are being taken without sufficient use of non-lethal deterrents, such as attractant management or electric fencing. The government is prioritizing “extermination” over the “Bear Smart” principles of coexistence.こうした致死的な措置は、誘引物質の管理や電気柵といった非致死的な抑止手段が十分に活用されないまま行われている。政府は、共存を掲げる「ベア・スマート」の原則よりも、「駆除」を優先している。
Asking the Japanese Government to “Think Again”
These culls are excessive and cannot be justified in the light of existing science and population data. We call on the government to urgently seek further professional advice and to adopt best practice in dealing with the current situation of conflict between bear and humans. We wish to highlight to government:日本政府に対し「再考」を求める
こうした駆除は過剰であり、既存の科学的知見や個体数データに照らしても正当化できない。我々は、政府に対し、早急に専門家のさらなる助言を求め、クマと人間との間の現在の対立状況に対処する上で、最善の対策を採用するよう要請する。政府に対し、以下の点を強調したい。
上段に共感。特に、attractant management(アトラクタント・マネジメント)とelectric fencing(電気柵)が大事です。こういった対策をせず目を逸らして、クマだけ悪者にしていませんか。



それぞれのポエムを供養して、私の源流部に怒りという感情があることを再認識できた1日でした。
私の意図とするところは、
結局、どんな個体を残すべきかがわかっていない我々が「管理」という言葉のもと定量的な数だけをかかげて減らしても個体は最終的には減っていく道を辿るのでは?という問いです。だって75%に削減したところで、また人被害があれば削除するわけですから。無差別に管理していれば、本来雑食であり森を作る役割のあるクマの数が次第に減っていきますよ。
危険個体と非危険個体を区別せず、一律に定量的な数だけを掲げて減らすことの妥当性があるのか?
(Bear Conservationによると、冬眠中のクマを襲うケースもあるという)
定量的目標と報奨金を掲げられたハンターが上記のような問いを考え判断し、実践できるのか?
人命が大事(優先)といって自分たち(人間)の行動は改めない。現象的対応を続けるのか?
人の命だって大事に決まってます。人の命が大事だからこその共生のあり方を考えるべきなのですよ。
短期的な対応と長期的な対応はセットです。
人間の傲慢さが引き起こす、名目的な現象的対策は、周りめぐって人を苦しめます。すでに部分的には絶滅が起こっていますよ〜。福岡県ではツキノワグマは絶滅したと言われています。環境省から宣言が出されています。(それでいて『クマモン』で荒稼ぎ!?している様は皮肉としかいいようがありません。)
アイヌの人たちはクマを生態系の頂点にいるものとして扱うのではなく、生態系自体そのものという捉え方をしていたといいます。キムンカムイ(山にいる神)」と呼び、畏敬の念を込めて崇拝してきました。一方で、人間を襲った熊は「ウェンカムイ(悪い神)」とみなされ、境界を侵した存在として厳しく対処しました。
今はこの『畏敬の念』の部分を忘れて、マスメディアの情報をもとに「クマ危険」思想が人々に刷り込まれて、世間話のネタとされています。正しく恐れず、畏敬の念もない恐れは間違った恐れではないでしょうか。
見たいものだけ見てきた日本人は、奥山にいるはずのクマがどうして人里に出てくるのだ。クマが悪い。クマを殺せと言う。出てきたクマを殺すだけでは個体群は学習しない。市街地の緊急銃猟の麻酔銃は一発9,000円。ずっと殺し続けるのか。市街地で殺し続けるだけでは何も解決しない。
https://x.com/_arcfish/status/2068301735580606833?s=20
『どの個体を、どの地域で、どのような基準で管理するのか』
これが明らかになっていない状態で一律に削減していったらそりゃ絶滅する道一直線です。ただ数字を掲げて管理するのではなく、質的な視点を合わせもって対応していく道を考える必要があります。
尊敬と駆除は同時に合わせ持つべきですし、そこに人間行動の深い内省がなければ、オオカミと同様クマがいなくなる日は近いです。そして、最後は人間たちが苦しむのです。
傲慢な姿勢と畏敬の念がない現象的対応と目先のインセンティブに翻弄された管理で、個体が適切に管理できると思うのが不思議です。人に自然を管理することができるのか?自分にも改めて問い考える材料としたいです。
参考
『絶滅した日本のオオカミ—その歴史と生態学』 ブレット・ウォーカー[著]・浜 建二[訳] (北海道大学出版会,2009年,329頁,5,250円)
下記で部分的な内容を読めます。
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/repo/huscap/all/44600/50_246.pdf
明治以降の北海道の生態系において,シカ,ウマ,オオカミ,ヒトが織りなす 4 者関係があった.明治期におけるシカの大量死とそれに伴う食糧不足を補うためにオオカミが馬産地の日高地方へ移動したために,人とオオカミの軋轢が顕著になり,オオカミ撲滅を積極的に推し進めるきっかけとなった.特に北海道はアメリカ人の指導により開拓,近代化が推し進められたので,オオカミ撲滅を重要な政策としていたアメリカの手法を直輸入したことが悲劇をよぶ原因となった.その効果的な撲滅法とは賞金制と毒薬ストリキーネの使用である.本書では,オオカミ駆除数の年次変動が明示され,駆除数が年を経るごとに激減していく様が見て取れる.つまりエゾオオ
カミの絶滅には駆除が主要因であったことが示唆されている.
門崎允昭先生は今年の1月に逝去されましたが、クマのことを真摯に考えておられた研究者です。
ぜひ、間違った過剰な愛護でもなく、傲慢な管理ではない道を考えるために書物(情報)に触れてみてください。
↓クマは殺す時代ではないことを記載されています。
http://www.yasei.com/
「この大地は人間だけの物では無い。総ての生き物の共有物であるとの理念から私は記事を書いているのである。」
この理念に共感します。普通のそこらへんにいる大人ですが、知床の付け根に住んで、ネイチャーガイドの世界も垣間みた人だからこそ見えている世界もあると思いここに感情を供養します。
